「ブラジル・ロシア・インドにおける外国公務員贈賄罪」(ビジネス法務2013年3月号)

『ビジネス法務』2013年3月号(中央経済社)に「ブラジル・ロシア・インドにおける外国公務員贈賄罪」という論文を掲載して頂きました。これは、中国を除くBRICs諸国の外国公務員贈賄罪(法案)について基礎知識を整理したものです(なお、本論文における意見にわたる部分は筆者の個人的な見解です)。

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UE社フィリピンカジノ事件続報 土地取得の外資規制(朝日新聞)

今朝の朝日新聞(2012年12月31日)朝刊(3頁)は「UE社がカジノ用地を違法取得」したと報じています。昨日の関連記事です。
朝日新聞の記事によると、

  • UE社は、フィリピン現地法人「イーグルIランドホールディングズ(イーグルI社)を通して、マニラのカジノ用地を買収した。
  • フィリピン司法省はこの土地買収が違法であるとして、カジノ営業を認めないように娯楽賭博公社に対して勧告した。
  • フィリピン国会公聴会も違法な土地取得を重くみて、カジノ免許付与を巡って紛糾している。
  • フィリピンでは株式の60%以上をフィリピン国民が保有していない企業の土地取得は認められていない。
  • イーグルI社の株主構成は、4割がUE社の米国法人「アルゼUSA」、6割がフィリピン法人であるが、フィリピン法人の株式の4割はアルゼUSAが保有していた。
  • つまり、アルゼUSAはイーグルI社の株式を直接・間接的に計64%保有していることになる。
  • よって、イーグルI社による土地取得は土地取得に関する規制に違反しており、違法である。
  • UE社は12月12日にフィリピン地場大手企業と提携して株式を譲渡する計画を発表したが、違法状態の解消を目指すためとみられる。
  • UE社は朝日新聞の取材に対して「違法との認識はないが、法令順守体制の強化に取り組む」と答えた。

とのことです。
この朝日新聞の記事が仮に真実であるとした場合、カジノ用地取得がフィリピン国内法上の土地取得の外資規制に違反していたということになります。

しかし、昨日のFCPA違反疑惑の報道も含めて、UE社から朝日新聞の記事掲載に対するコメントは現時点で公表されておりません。上場企業の社会的責任という見地からは、同時に、企業防衛の観点からしても(年末年始という時期だからこそ)迅速な対応が望まれているのではないでしょうか。

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ユニバーサルエンターテインメント社のフィリピンカジノ事業に関する報道(朝日新聞)

今朝の朝日新聞(2012年12月30日)朝刊は1面トップで、日本のパチスロ遊技機メーカー「ユニバーサルエンターテインメント社(UE社)がフィリピンで計画しているカジノリゾート事業に関係してフィリピン政府高官らに接待が繰り返され、FCPA違反の疑いでFBIが捜査を始めた」と報じています。

朝日新聞の記事によれば、

  • UE社は、フィリピンにおけるカジノ営業の暫定免許を受け、現在は正式免許の認可待ちだった。
  • UE社の接待は、UE社と現在は敵対関係にあるアメリカのウィン・リゾーツ社の調査報告書によって発覚した。
  • ウィン社報告書によると、UE社は2008〜2011年にかけて、ラスベガス・マカオにあるウィン社のカジノホテルで、フィリピン娯楽賭博公社の総裁・部長らの宿泊費や遊興費を支払った。
  • 接待費は11万ドル(約946万円)にのぼった。
  • フィリピン娯楽賭博公社の総裁と部長は朝日新聞の取材に対して、接待を受けた事実を認めた。
  • ウィン社報告書は、米国に子会社があるUE社の接待は、FCPAに違反する可能性が高いという。
  • FBIが捜査を開始し、複数の関係者がFBIから既に事情を聴かれた。
  • 接待問題とは別に、UE社側がフィリピン娯楽賭博公社顧問だった人物に1,500万ドル以上の巨額送金をしていたことが判明し、フィリピン国会が公聴会を断続的に開いている。
  • UE社会長も年明けの公聴会に呼ばれる予定である。
  • UE社は接待を担当した元同社幹部社員らを相手に、損害賠償を求める民事訴訟を3件、東京地裁に提訴している。
  • まず、UE社米国法人の元支社長らに対する訴訟では、同社の香港関連会社を通じて1,000万ドル(約8億6千万円)がフィリピン娯楽賭博公社顧問が経営する英領バージン諸島の会社に送金されたことが争われている。
  • 次に、UE社米国法人の元支社長に対する訴訟では、コンサルタント料の名目で500万ドルが海外に不正送金されたことが争われている。朝日新聞が入手したUE社内部資料によれば、送金された日付はUE社の香港関連会社あてに資金が流された日と一致し、翌日にはフィリピン娯楽賭博公社顧問が経営する香港の会社に同額が送金されているという。
  • 最後に、接待を担当したUE社の元執行役員に対する訴訟では、ウィン・リゾーツ社の前身企業に出資した9千万ドルが使途不明になっていることが争われている。

とのことです。

この朝日新聞の報道内容が仮に真実であるとした場合、次のようなことが言えると考えられます。

まず、本件は、我が国の不正競争防止法18条1項が規定している「外国公務員贈賄罪」が適用される可能性があります。この点について朝日新聞の記事は言及していませんが、本件はむしろ我が国の外交公務員贈賄罪の典型ケースとも言える内容となっています。例えば、フィリピン政府高官が接待の相手方という点は、日本における最初の外国公務員贈賄罪有罪事件である「九電工事件」と同一です。また、ビジネスパートナーまたは密接利害関係人との間での「内紛」が事件化の一つの契機であるという点は、2番目の有罪事件である「PCI事件」と類似した構図になっています。便宜供与(接待)の担当者が日本人である以上、接待地が外国であっても、属人主義(刑法3条)に基づいて日本の外国公務員贈賄罪が適用される(可能性がある)という点もPCI事件と同じです。後は、時効の点と、フィリピン娯楽賭博公社の「顧問」が外国公務員にあたると言えるかといった点が問題となるでしょう。

次に、九電工・PCI事件と大きく異なるのは、FBIが捜査に乗り出しており、アメリカのFCPA(連邦海外腐敗行為防止法)の適用可能性があるという点です。事件の端緒となったウィン・リゾーツ社の調査報告書はFBI長官を務めた大物ルイス・J・フリー氏が率いるファームによって作成されているとのこと。FCPAで摘発された場合、日本の外国公務員贈賄罪との重畳適用という問題が発生するでしょう。

また、フィリピン議会の公聴会で本件が取り上げられ関係者が聴取されているという点は、インドネシアでの鉄道事業に関して同国の刑事裁判で接待相手が審理を受けていた住友商事の案件と類似性があります。住友商事事件は不起訴処分を勝ち取りましたが、本件はどうなるでしょうか。引き続き事件の推移を注視していきたいと思います。

いずれにしても、日米のエンターテインメント関係企業間でカジノビジネスを巡って紛争が生じており、その過程でFCPAまたは不正競争防止法の外国公務員贈賄罪の疑惑が報じられるに至ったということだと考えられます。

UE社は既に、ウィン・リゾーツ社会長のウィン氏を名誉毀損でフィリピン検察に告訴したり、一連の「疑惑」を報道したロイターを名誉・信用毀損で訴えたりしていますが、本日の朝日新聞記事についてはまだ正式なコメントを出していないようです。迅速かつ適切なメディア対応も含めて、UE社としては、外国公務員贈賄罪に特有のリスク対策を取ることが喫緊の課題になったと言えるでしょう。

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ビジネス法務9月号「中国における外国公務員贈賄罪の新設」

7月21日発売の『ビジネス法務』2012年9月号(中央経済社)に「中国における外国公務員贈賄罪の新設」という論文を掲載して頂きました。
中国は昨年2011年、刑法を改正して「外国公務員贈賄罪」を新設しました。このことは米国FCPAに端を発する「外国公務員に対する贈賄を違法化する」という立法政策のトレンドが遂に中国へ到達したことを意味します。

そこで、その中国版外国公務員贈賄罪の内容と意義について、国際潮流の中に位置づけながら分析を加えたのがこの論文です(なお、本論文における意見にわたる部分は筆者の個人的な見解です)。ありがとうございました。

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住友商事インドネシア事業の外国公務員贈賄疑惑、不起訴処分に。

住友商事のインドネシア鉄道事業に関する外国公務員贈賄疑惑ですが、東京地検が「不起訴処分」にしていたと朝日新聞が報じています(朝日新聞2012年7月3日朝刊38頁)。それによりますと、

  • 住友商事の社員2人がインドネシア運輸省幹部を日本に招いて数十万円相当のゴルフ・飲食接待を行った。
  • そこで、警視庁が外国公務員贈賄罪の被疑事実で捜査し、東京地検に書類送検した。
  • しかし、東京地検は6月、不起訴処分にした。

ということです。

毎日新聞によると、「接待額が少額なことなどから、賄賂と認定するのは困難と判断したとみられる」とのこと。

http://mainichi.jp/select/news/20120703k0000m040117000c.html

つまり、外国公務員贈賄罪について「嫌疑不十分」ということで不起訴という結論になったようです。

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ビジネス法務10月号「中国における贈収賄罪の構造と日本企業のリスク対策」

『ビジネス法務』2012年10月号(中央経済社)に「中国における贈収賄罪の構造と日本企業のリスク対策」という論文を掲載して頂きました。

これは、中国の「国内贈収賄」について分析した論文で、中国の外国公務員贈賄罪を理解する前提として国内賄賂犯の基礎知識を整理したものです。

中国の国内贈収賄は、刑法と反不正競争法によって規律されていますが、日本法とは異なる意味で「法人犯罪」が認められていることや、私人間の贈収賄(民民賄賂)も広範に規制されていることもあって、整理がなかなか容易ではない分野だと思います。

そこで、そうした中国の国内贈収賄について、日本企業にとってのリスク対策をどう考えればよいかという観点から、分析を加えてみました。執筆にあたっては中国に進出している日系企業の法務担当者・リスク担当者の方々から貴重な体験談をお聞かせいただきました(なお、本論文における意見にわたる部分は筆者の個人的な見解です)。ありがとうございました。

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映画 『エンジェル ウォーズ』。1949年のベビードール

続いて、『エンジェル ウォーズ』(Sucker Punch)です。

『300 <スリーハンドレッド>』のザック・スナイダー監督が放った、重層的な空想世界の中で女子5人が力を合わせて敵と闘うというファンタジーSF映画です。

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ロボトミー

主人公のベイビードール(エミリー・ブラウニング)は、遺産狙いの義父から虐待を受け、妹を殺されたばかりでなく、妹殺しの汚名を着せられて精神病院に強制収監されてしまいます。そこでは、おぞましいロボトミー手術が待っていました。

ロボトミー手術というのは前頭葉の一部を切除する手術。「凶暴」な精神病患者が「劇的に大人しくなる」という触れ込みで、20世紀の前半に流行した手法で、発明者のエガス・モニス(ポルトガルの医師・政治家)は1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています(ちなみに共同受賞者の名前は偶然にもルドルフ・ヘス)。
しかし、ロボトミー手術を施されると人格が破壊され廃人になってしまうことが多いことから、人間の尊厳を損なう手法として、否定的な評価が今日では圧倒的なようです。映画『カッコーの巣の上で』 (One Flew Over The Cuckoo’s Nest)のラストでジャック・ニコルソンが施された手術がこれですね。

空想の世界

精神病院において意思に反してロボトミー手術を施されようとする現実。それは、誰にとってであれ、耐え難いものがあります。

その受け入れがたい現実から逃避して、自由を求める主人公の精神は、病院を娼館に見立てる「空想世界」に入り込んでいきます。

この2次的な世界では、精神病院の「女性医師」は娼館の「女主人」に、陰険な「看護師」は横暴な「娼館オーナー」に、主人公自身は天才的なダンスの才能がある「新人娼婦」に置き換えられます。

ベイビードールは空想世界における娼館で、市長や金持ちを相手に、激しく官能的なダンスを踊って男を虜にします。このダンスが彼女の行為のメタファーであることは大人なら分かりますね。

メタファーというのは、隠喩(いんゆ)と言って、比喩であることを直接に明示しない表現のことです。現実をありのままに認識しているはずなのに、それが「何か別の意味を持っている」と指摘されると、その現実が違って見えてくることがあると思います。それと同様に、メタファーという表現は現実の別の姿を見せてくれる「衝撃力」をもつことがあります。脳みそを不意打ちするような衝撃です。この映画の原題が、Sucker Punch(「不意打ち」という意味)となっているのは、もしかしたら、それゆえかもしれません。

映画の中でメタファーが効果的に使われると、映画の中で構築された世界がぐんと深みを増して、多元的に理解されるようになります。この映画はその典型です。

妄想の世界

『エンジェル ウォーズ』では、ベイビードールがダンスを始めると、踊りながら彼女の意識は更なる妄想の世界にトリップしていきます。

これは何故でしょうか。

まず考えられるのは、精神のトリップはダンスの「高揚感の比喩」ではないかということです。ダンス自体がもたらす高揚感です。しかし、単にそう考えると、トリップした妄想世界での「闘い」の意味がよく分からなくなります。

なぜベイビードールは妄想世界で闘わなくてはならないのでしょうか。

ひょっとしたら、このベイビードールのダンスは、2次的な空想世界における「行為」のメタファーであると同時に、現実の世界(病院)における患者への「性的虐待」のメタファーかもしれません。もし、そうだとしたら、その現実は、とうてい受け入れがたい酷いものです。それゆえ、その過酷な現実に立ち向かうために、ダンスをしながら主人公の意識は更なる「妄想世界」にトリップするのではないかとも思えます。そう考える場合、ダンスが始まるや否や妄想の世界が自ずと立ち現れるのは、ベイビードールが現実に立ち向かう姿にかかわる重層的なメタファーを表現しているとも解釈できます。

いずれにせよ、『エンジェル ウォーズ』の核心的な表現は、この第3次レベルの「妄想世界」にあります。

この世界で、彼女は自由で超人的なパワーを得て敵と戦います。舞台となるのは、日本風の寺院や第一次世界大戦の戦場、中世の古城など。数々のサブカルチャー的な表現が引用され尽くしたこの妄想世界で、ベイビードールは4人の仲間と一緒に敵と闘っていきます。5人を導く不思議な男性(スコット・グレン)が登場しますが、これは今は亡き父親のメタファーでしょうか。第3次世界における圧倒的に濃厚なイマジネーションの描写こそが、この映画の見せ場に他なりません。

ベイビードールが仲間とともに戦う敵は、「妄想世界」における直接の敵だけではなく、娼館という「空想世界」における理不尽、さらに精神病院という「現実世界」における絶望的な不自由さを意味しているように思われます。そして、『エンジェル ウォーズ』を観る者は、この3っの世界がリンクして同時進行していくというストーリーの運びに、頭を揺さぶられます。といっても、精神分析もどきの深読みが要求される訳ではありません。娼館=病院から脱出するために必要な「アイテム」を1個1個ゲットしていくという、RPGゲームのような設定の下で奮闘するベイビードール達の姿は、爽快なものがあります。

マトリックスとインセプション

その点で、『マトリックス』の仮想現実や『インセプション』の深層世界(という既存の二大傑作の設定)とはまったく異なるコンセプトの映画であることがお分かり頂けると思います。

ウォシャウスキー姉弟の『マトリックス』であれば、プラグを頭の後ろの部分に刺すことによって、現実の暗黒世界から仮想の理想郷に移動出来るという設定がされています。

しかし、仮想世界に入っている間、現実の世界での人々は単に「寝ている」状態です。そもそも電話回線の接続によって仮想空間に入るというコンセプト自体、「そんなこと、ありえないだろ」という一言で終わりと言えば終わりです。

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これに対して、クリストファー・ノーランの『インセプション』は「夢」のお話です。

登場人物は、現実には眠りこけながら、「夢の中で更に夢を見る」という多重的な夢世界を行ったり来たりします。確かに、夢の中でそういう体験をすることもないとは言えないのですが、そうする必然性があるとか言われると厳しいものがあります。

たまたま「胡蝶の夢」を見て、ボーッとしながらも不思議な夢だったなと回想することはあるでしょう。しかし、何重もの深層世界に侵入していくというコンセプトは、面白いけど、無理やりな感じがどうしても残ります。映画のストーリーとしては、「重要人物の深層意識に影響を与えて、現実の選択を都合よく変える闇の請負ビジネスがある」という説明でクリアしていますが、この設定がそれほどリアルだとは言い難いところがあります。

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この点、『エンジェル ウォーズ』は、過酷すぎる状況に身を置いた主人公が、目の前に突き付けられた現実を彼女なりに咀嚼し耐える為に生み出した空想と妄想であるという、ある種の必然性が感じられます。荒唐無稽とも思える空想世界の描写を観ながらも、同時に、何かリアルな、重いものを突き付けられる感じがします。

「正気を保つために狂気を受け入れる」というべきか、「メタファーによって精神の自由を獲得する」というか表現が難しいところですが、ベイビードールの挑戦は、ラデュ・ミヘイレアニュの名作映画『オーケストラ!』(LE CONCERT)で、シベリアの強制収容所に送られたバイオリニストが空想でバイオリンを弾く、悲しくも気高い姿を想起させます。

『エンジェル ウォーズ』は、現実をありのまま受け入れるのではなく、メタファーという表現を介して受容するという経験を丁寧に描いている点で、強く印象に残る映画です。ダンスと音楽を効果的に用いることでメタファーとしての重層的な世界を構築し、同時に、観る者に劇中世界を多元的に理解させることに成功している、希有の作品と言えるのではないでしょうか(ちょっと褒め過ぎ?)。

フォークナー

この映画を観ながら、ふとウィリアム・フォークナーのスピーチを思い出しました。フォークナーがノーベル文学賞を受賞した時のスピーチです。

“I believe that man will not merely endure: he will prevail. He is immortal, not because he alone among creatures has an inexhaustible voice, but because he has a soul, a spirit capable of compassion and sacrifice and endurance.”

試しに訳してみると、

「私は、人が単に耐えるだけでなく、打ち勝つのだと信じています。人が不朽の存在であるのは、生き物の中で人だけが尽きることのない声を持っているからではなく、魂、つまり他者を思いやり、自己を犠牲にして、耐えることができる心を持っているからです」

というところでしょうか。

人間の精神を称揚するフォークナーが受賞したノーベル文学賞は、1949年のもの(実際の受賞は翌年です)。奇しくも、ロボトミー手術の発明者エガス・モニスが生理学・医学賞を受賞したのも同じ1949年でした。

ベイビードールがやろうとしたこと。それは、最後まで諦めず(endurance)、自己を犠牲にして(sacrifice)仲間を助けよう(compassion)としたことに尽きるのではないかと思います。もし、そうだとしたら、彼女の「ダンス」にこそ、フォークナーのいう「魂」が込められているという気がしてなりません。

 

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映画 『完全なる報復』とコラテラル

次は、ゲイリー・グレイ監督の『完全なる報復』(Law Abiding Citizen)です。

妻子を殺された男が10年がかりで2人の犯人に復讐を遂げるとともに、裁判関係者に報復していくという映画です。

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完全なる報復計画

被疑者2人は逮捕されましたが、ジェラルド・バトラー演ずる父親の懇願も空しく、やり手検事(ジェイミー・フォックス)は司法取引に踏み切り、主犯は子分に罪をなすりつけて死刑を免れます。市民の心情を無視する法制度に絶望したジェラルド・バトラーは、実行犯2人に復讐するだけでなく、茶番としか思えない裁判の関係者全員に報復を行うことを決意します。

準備期間はなんと10年。

主犯が懲役刑を終え出所したところから、財産と頭脳を駆使し綿密に計算された報復劇が始まります。用意周到な復讐は鬼の所業のようです。特に主犯のおっさんに対する復讐という名の虐殺行為の描写は凄まじいの一言(子供は絶対に見ない方がいいです)。

巻き添え(collateral)

妻子を殺されただけでなく、司法制度によって理不尽な扱いを受けたと考える復讐鬼ジェラルド・バトラーは、司法取引に踏み切った検事を含めて、「茶番」に関わった全ての関係者は死の裁きを受けるべきと信じています。これに対して、ジェイミー・フォックス(検事)は、関係者は誠実にその公的職務を果たしただけであり、私的な復讐の対象となるのは「巻き添え」を食らうことに他ならないと考えます。

そう、この映画は単なる報復劇ではなく、「巻き添え」(英語でcollateral)を巡る二人の男の対決を描く映画とも言えます。

巻き添えを食らうとは一般には、傍観者又は第三者であるにもかかわらず、何らかの負担を押し付けられたり、被害を被ったりするという意味です。つまり、当事者でもないのに(正確に言うと、当事者であるがゆえに甘受しなければならない責任がある訳ではないのに)何らかの「とばっちり」を食うというイメージです。

突然乱入してきた暴漢2人に妻子を殺されたジェラルド・バトラーにしてみたら、自分は巻き添えの被害者そのものです。なぜ見ず知らずの人間に家族を殺されなければならないのか。愛する家族を目の前で殺された人間がなりふり構わず「犯人をぶち殺したい」と思うのは、人のリアルな感情として理解でき、実際にそのような復讐劇を描いた映画はたくさんあります。

しかし、この『完全なる報復』は、そのような報復の感情が、当事者としての犯人だけではなく、背景にある法制度に向けられていく点に着目します。ジェラルド・バトラーは、当然に死の裁きを受けると思っていた主犯のおっさんが狡猾な検事の司法取引のせいでまんまと死刑を免れたことに憤死しそうになるくらい怒りを覚えます。そして、彼の憤激は、被害者の心情を踏みにじるかのような現行の司法制度に鋭く向かっていきます。

悪法も法か

「悪しき法制度も遵守すべきか」というこの映画の問いかけは、言うまでもなく「悪法も法か」という古典的な命題を背景としています。それゆえ、この映画の原題が「Law Abiding Citizen」、つまり「法を遵守する市民」というものになっている訳です。

ジェラルド・バトラーは、より良い方向に制度を改革する為に例えば「選挙に出て市長に当選して制度改革を行う」といったような迂遠な方法はとりません。被告人2人を自らの手で殺して復讐を果たすだけでなく、検事から裁判官に至るまで、茶番裁判の関係者を「皆殺し」にするという直接的な方法をとろうとします。

被害者や遺族による直接的な報復(私刑)を禁止し、応報刑の遂行を国や州が独占している近代社会では、いかに可哀想な巻き添え被害者であるジェラルド・バトラーといえども、自ら復讐に乗り出したらアウトです。現行制度の下では、ジェラルド・バトラーは、もはや私憤という域を超えて、共感しがたい猟奇的で独善的な復讐にかられているだけと言わざるを得ません。

それに対して、10年前に事件をたまたま担当した検事ジェイミー・フォックスが復讐の対象になるというのは、「巻き添え」を喰らっているだけのように思えます。

しかし、実はジェイミー・フォックスは事件当時、心から妻子の死を悲しみ犯人を憎んで「せめて1人は確実に死刑台に送りたい」という純粋な気持ちで司法取引に応じた訳ではありませんでした。有罪率という成績を気にする出世に貪欲なやり手検事にとって、司法取引は合理的な事件処理だという側面があったのです。遺族ジェラルド・バトラーにとって、検事ジェイミー・フォックスは不正義の当事者そのものであり、当事者であるがゆえに甘受しなければならない責任があると考えた訳です。

このような「巻き添えと責任」を巡る二人の男のぶつかり合いの描写が、『完全なる報復』を強く印象に残る映画にしています。

コラテラルとコラテラル・ダメージ

ジェイミー・フォックスと言えば、2004年のマイケル・マン監督作品『コラテラル』(Collateral)という映画で、殺し屋トム・クルーズの暗殺を手伝う羽目になった気弱なタクシードライバー役を好演し、オスカーを獲った『Ray/レイ』(Ray)での熱演と併せて、一気に演技派スターの地位を占めるに至った男優です。

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コラテラルという言葉は、「付随した」とか「横の」とかいう意味があります。語源としては、ラテラル(lateral)つまり「横の」という意味合いを持つ言葉です(TPPのような多国間交渉のことをマルチラテラル(multilateral)といい、2国間の交渉をバイラテラル(bilateral)といいますね)。

ちなみに、最近はラテラル・シンキングという用語を良く耳にしますが、これも同じく「横の」という意味合いです。ラテラル・シンキングとは、ロジカル・シンキング(論理的に物事を堀り下げて考えていく垂直的な思考のこと)の限界を、視点をヨコにずらして考えることで乗り越えようとする考え方のことです。例えば、「ミカン3個を5人で平等に分けるにはどうしたらいいか」という問題に対して、「ナイフで5等分に切って分配する」のではなく、「ミカン3個全部を絞ってジュースにして5杯に分ける」というのがラテラル・シンキングです。違った視点からの問題解決のヒントになるとして、ちょっと前に流行しました。

このラテラルを含むのが、コラテラル。本筋ではなく、ひょこっと横に出た、間接的なものをコラテラルという訳です。なお、collateralといえば「担保」という意味もあります。本来の責任を支える、付加的な責任のことですね。

映画『コラテラル』は、タクシー運転手が殺し屋の仕事に巻き込まれるという「巻き添え」を主題としつつ、現実をなかなか受け入れない、子供っぽいところが残る主人公が必死に頑張って女性検事を助ける過程で、少しずつ成長を遂げる姿も描いていきます。

そうそう、コラテラルといえば、アーノルド・シュワルツェネッガーの『コラテラル・ダメージ』(Collateral Damage)という映画もありました。これは、テロの巻き添えで妻子を爆殺された消防士シュワルツェネッガーの怒りの映画です。

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戦争や軍事作戦における「民間人の犠牲」をCollateral Damageといいます。軍事作戦において、民間の被害は「副次的な被害」つまり Collateral Damageと言われます。被害にあった人間が民間人というだけで、Collateralと言われてしまうのは納得がいかない気がしますが、必ずしもそうではありません。

確かに、軍事作戦においては軍の被害が「主」であり民間の被害は「従」であるという考え方があります。しかし、それは「軍事作戦の被害は軍内部に留めるべきであり、外部(民間人)の被害は出来る限りゼロにするべきだ」という思想が背景にあるということでもあります。プロフェッショナルとしての軍人等が用いる場合、Collateral Damageという言葉は重い意味を持っているのです。

いずれにしても、コラテラルという言葉は、当事者性と巻き添え性、被害と責任について、いろいろな問いを投げかける言葉であると言えます。『完全なる報復』と『コラテラル』、そして『コラテラル・ダメージ』。巻き添え3部作といったところでしょうか。

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映画 『SUPER8/スーパーエイト』

最近見た映画で、印象に強く残ったものを何点か挙げていきたいと思います。
(なお、BDやDVDで鑑賞した映画も含まれます)

最初は、『SUPER8/スーパーエイト』(Super 8)です。

J・J・エイブラムスがスピルバーグに捧げたノスタルジックなSF映画です。

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8㎜フィルム

スーパー8とは、昔懐かしい8㎜フィルムのこと。1979年、このスーパー8を使う機材で映画を自主製作していたオハイオの子供たちが主人公です。

子供たちが映画の撮影中に偶然、宇宙生命体を極秘裏に運搬しているアメリカ空軍の鉄道車両が脱輪・転覆する「事故」に遭遇します。そして、宇宙生命体を巡る秘密や、警察官(保安官補)や飲んだくれのパパ達と子供たちの葛藤する模様が描かれていきます。

中でも強く印象に残るのが、自主映画(劇中劇)のヒロイン役エル・ファニングの演技。エル・ファニングはあのダコダ・ファニングの妹ですが、将来お姉さんに匹敵する天才女優になるのでしょうか。物凄い演技です。

そこぬけもててもてて

映画のエンディングでは、子供たちが完成させたゾンビ映画(劇中劇)が流れます。それを観ながら、ふと「そこぬけもててもてて」を思い出しました。

「そこぬけもててもてて」というのは、私が通っていた中学の学園祭で上映する自主映画を作っていたグループの名前です。

彼らの作る自主映画は、本編もさることながら、エンディングに流れる「関係者の一芸披露」のショットがとても面白いものでした。横断歩道を蛇のように腹ばいになって手を使わずに渡るシーン(早送り)や、プールに隣の建物から飛び込むシーン(危険ですね)など、その一つ一つの記憶が図らずも蘇ってきました。

それは、「そこぬけもててもてて」の映画が8㎜フィルムを使っていたからでしょうか。

観る者を当該映画のストーリーだけでなく、映画というものそれ自体に対する思い入れに回帰させる事に成功している点で、この『SUPER8/スーパーエイト』は『ニュー・シネマ・パラダイス』と同じように、秀作だったなと思います。

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インドネシアの「KPK」について

住友商事インドネシア外国公務員贈賄疑惑事件ですが、インドネシア運輸省のスミノ・エコ・サプトロ局長は、インドネシアの汚職撲滅法2条1項及び3条違反の疑いでKPKによって逮捕されました。

KPKとは、インドネシアの「汚職撲滅委員会」という組織です。
今回は、このKPKについて、簡単に解説したいと思います。KPKの公式サイトはココです。

http://www.kpk.go.id/

KPKは2003年、当時のメガワティ大統領の強い意向で設置されました。インドネシアの汚職に対して国家警察と検察による対応だけでは不十分だということで、大統領直轄の汚職捜査機関として設立されたのです。

その設置の根拠となった法律は、2002年制定の「汚職犯罪撲滅のための組織設置法」(UU RI No. 30/2002 COMMISSION FOR THE ERADICATION OF CRIMINAL ACTS OF CORRUPTION)というものです。

KPKは同法2条で、「汚職撲滅委員会」(the Commission for the Eradication of Corruption)という名称を与えられています。インドネシア語の原語は「Komisi Pemberantasan Korupsi」。それゆえ略称が「KPK」となっている訳です。

さて、汚職に関して新たな組織を設置するとなると、既存の国家警察や検察との権限(管轄)の分配・調整が問題となる訳ですが、同法は、新設するKPKに次のような権限を付与しています。
KPKの基本的な機能は、汚職案件に関する捜査・起訴・訴訟追行の「調整機能」ですが、警察・検察が手掛けている汚職案件を(むりやり)引き継くことができ、また、政府高官や法執行機関の職員(警察官や検察官)が絡んだ汚職案件や、公共の関心事項である汚職案件、あるいは10億ルピー以上の国家損失を招来する汚職案件については、捜査・起訴・訴訟追行権を直接行使できます。

その独立捜査権の為にKPKに認められている武器が、「盗聴」、被疑者の「海外渡航禁止命令」・「停職命令」、「金融機関に対する情報開示請求権と口座凍結命令」や「財産・税務情報の収集権」等です(12条)。

なお、その他、汚職の防止策や監視もKPKの任務とされています。

このように、法律上は強大な権限を認められているKPKですが、実際は、政治的な思惑で力を発揮できていないという評価がもっぱらのようです。

この辺りの事情については、また次の機会に(機会があれば)
お読みいただきまして、ありがとうございました。

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羽田空港の沖合

週末は、船にのって羽田の沖合に行ってきました。

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羽田空港と言えば、4本目の滑走路(D滑走路)が昨年10月に新設されたり、多摩川左岸に「羽田空港船着場」(Haneda Airport Wharf)が11月30日に完成したりと、馴染みのある風景が激変しているスポットです。

この羽田空港船着場、現在はチャーター屋形船が利用することがもっぱらのようですが、いずれ「船で羽田に行って、飛行機に乗る」という利用スタイルが実現することになるかもしれません。

D滑走路の整備について概観するのに一番いい資料は、コレです。
http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/haneda/haneda/haneda_saikaku/pr/panf/pdf/no-001a.pdf
船着場については、公式サイトをご覧ください。
http://www.big-wing.co.jp/pier/

京浜運河を下っていくと、すぐ横をモノレールが並走していたり、川沿いの公園でランニングしている人がいたりして、のんびりとした休日の雰囲気が楽しめます。羽田空港の付近では、ぴしゃぴしゃと海面を跳ねる魚が意外と大きいのでびっくりしました。

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こうして、羽田の沖合から東京の都心部を見ると、あたかも東京が「空と海の間の薄い膜」の上にのっている存在に過ぎないかのような錯覚にとらわれます。

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住友商事のプレスリリース

住友商事が昨日、プレスリリースを出しました。
http://www.sumitomocorp.co.jp/news/2011/20111128_100846.html

「昨日及び本日、一部の報道機関で当社のインドネシア向け中古鉄道車両ビジネスに関わる記事が掲載されております。現在、インドネシアにおいて同国運輸省元幹部に対する裁判手続きが続いていることもあり、現時点で当社の立場につき具体的に申し上げることはできません。今後、機会を捉えて、当社として説明を行う所存であります。
これまで当社はコンプライアンス最優先でビジネスに取り組んできており、今後もこの方針で臨んでまいります。」

とのことです。

メディア向け第一弾としては、素早い対応だと思います。

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映画 『チョイス』

続いて、ケビン・コスナー主演の『チョイス!』(SWING VOTE)です。
2008年の映画ですが、日本では残念ながら劇場未公開。DVDが発売されています。

ケビン・コスナー。

この『チョイス』は、アメリカの大統領選挙を描いたコメディ映画です。

ニューメキシコ州の小さな町「テキシコ」に住む父子が主人公で、ケビン・コスナー演ずる父親は鶏卵工場で働く労働者。酒に溺れてだらしない毎日を送っています。小学生の娘モリーは、父親思いの優しい女の子ですが、まるっきり政治に関心のない父親とは違って、政治に対する熱い情熱を持っています。

大統領選挙の投票日。モリーは「絶対に投票に行ってね」と父に念を押して、投票所で待ち合わせすることを約束します。しかし、ケビン・コスナーは酒に酔って寝過ごしてしまいました。モリーは、せっかくの一票をムダにはできないと思い、こっそり父親の名義で投票しようとします。ニューメキシコ州は電子投票制。眠りこけている投票所のスタッフに気付かれないように、モリーはそっと投票用の機械を操作します。しかし、その時、掃除のおばさんがうっかり電源コードに足を引っかけて、機械の電源が落ちてしまいました。ケビン・コスナーの「投票」がどの候補に入るものだったか不明なまま、エラーになってしまったのです。

翌日の開票結果は驚愕するものでした。

なんと現職大統領と対立候補の票数が「同数」。

しかも、両候補者は全米で拮抗しており、ニューメキシコの代議員をどっちが取るかで大統領当選が決まるというのです。

さっそく、州の司法長官がケビン・コスナーの家にやってきて、再投票を依頼します。ケビン・コスナーはまさか自分の娘が投票しようとしていたとは言えず、「いいよ」と応じますが、家から一歩出ようとして腰を抜かします。全米、いや世界中のメディアが家の前に集結していたからです。

こうして、次期アメリカ大統領が誰になるかは、ケビン・コスナー1人の判断に委ねられることになりました。

直接民主政

渦中の人になったケビン・コスナーを、両陣営はあの手この手で籠絡しようとします。接待漬けになるケビン・コスナー。彼の「だめっぷり」演技は、『ポストマン』以来の筋金入りといってもいいほど高度な演技です。

やがて、ケビン・コスナーも次第に「自分の手で大統領を選ぶ」ということの重みをひしひしと感じるようになってきます。直接民主政を採用している国では、理論的に、有権者は誰しも大統領や首相を自分の一票で決めることができます。しかし普通は、数万、数十万票の中の一票だと思うと、なかなかそういった原理的な「価値」を実感することは出来ません。ケビン・コスナーは、「自分の1票が帰趨を決める」状態、つまり直接民主制の極限状態のような状況におののきます。

そして、驚いたことに、耳を傾け始めるのです。

最初は愛する娘の声に。そして、全米から寄せられた人々の声に。

耳を傾けるということが政治である。少なくとも、政治の本質の一端を表している、ということを改めて教えてくれる映画だったと思います。

ありがとう、ケビン・コスナー。

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朝日新聞の続報(住友商事・インドネシア事件)

昨日のスクープ記事に続いて、今朝の朝日新聞朝刊(社会面38ページ)は次のように報じています。
http://www.asahi.com/national/update/1127/TKY201111270335.html

  • インドネシア運輸省は2006年夏頃から、中古鉄道車両の輸入について住友商事と交渉を始めた。
  • 住友商事は60両用意できるとして、1両につき990万円の費用を提示した。
  • インドネシア運輸省の予算は1両475万円だったので、入札を実施する予定だった。
  • しかし、住友商事の現地社員は、商談を打ち切る意向を示して拒んだ。
  • インドネシア運輸省のスミノ・エコ・サプトロ局長は2006年8月10日に日本で住友商事関係者からゴルフ接待を受けた。
  • その約2週間後に、サプトロ局長は住友商事と契約するように指示。2006年11月末に契約が締結された。
  • サプトロ被告の裁判は28日午後、言い渡される。

この朝日新聞の記事によると、ゴルフ接待の直後に、インドネシア運輸省内の反対意見を振り切って、局長が「住友商事でいけ!」と指示したという構図が示唆されています。
九電工事件では、フィリピンの国家警察長官が来日してゴルフ接待を受けた後、一部の反対意見を握りつぶして、九電工の現地子会社と契約を結ぶようにと指示を出したと報じられていました。

今回のケースとは、この点にも類似性が見いだされます。

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住友商事・インドネシア外国公務員贈賄事件の疑惑が浮上(朝日新聞)

今朝の朝日新聞(2011年11月27日)朝刊社会面(39頁)は、「インドネシアから受注した鉄道事業をめぐって、住友商事に外国公務員贈賄罪の疑いがあるとして警視庁が捜査している」と報じています。社会面のトップ記事です。その一部は、ウェブ上でも見ることができます。

朝日新聞の記事によると、

  • 2011年3月に、インドネシア運輸省のスミノ・エコ・サプトロ元鉄道局長(64)が反汚職委員会(KPK)によって逮捕された。
  • 中古の鉄道車両を日本からインドネシアに輸入する際の費用を「水増し」して国庫に損害を与えたというのが、サプトロ元局長の容疑(被疑)事実。
  • サプトロ元局長は、裁判で禁錮5年を求刑されている。
  • 住友商事の現地社員がこのサプトロ元局長が来日した際に、茨城県石岡市でゴルフ接待をしている(2006年8月10日)。
  • 住友商事の現地社員はKPKによって事情聴取されており、住友商事は不正利益1600万円の返還を求められている。
  • 警視庁は、外国公務員への賄賂を禁じた不正競争防止法の疑いもあるとみて、現地当局と連携して捜査している。

とのことです。

この朝日新聞の記事が真実であるとした場合、次のようなことが言えると考えられます。

まず、この事件は、インドネシアの政府高官が「汚職」によってインドネシア国内で逮捕・起訴されたことがきっかけとなっています(この場合の「汚職」とは、収賄(賄賂を受け取ること)に限らず、背任等によって国家に損害を与えた場合も含む、広義の「汚職」だと考えられます)。

その意味では、外国公務員贈賄罪の相手方(フィリピン政府高官)が病気で死亡していた「九電工事件」(2007年)と類似性があります。相手方の外国公務員が「失脚」または「死亡」していることによって、その外国において影響力が削がれていることに加えて、外国政府の積極的な捜査情報提供が想定されるからです。今回は、インドネシア国内の刑事裁判の過程で 「住友商事とインドネシア運輸省幹部との癒着」(朝日新聞)が明らかになったとされています。

次に、「住友商事の現地社員らによって茨木県石岡市で元局長にゴルフ接待が行われた」という事実と「住友商事に外国公務員贈賄罪の疑いがある」という報道の関係性についてですが、これは慎重な読み方が必要です。

これだけを読むと、「そうか、日本国内でインドネシア政府高官をゴルフ接待したことが、外国公務員贈賄罪に問われるのだな」と思いがちですが、必ずしもそうとは言えません。

確かに、外国公務員贈賄罪の贈賄行為が日本国内で行われている場合は、属地主義(刑法1条)の原則に従って、その現地社員がインドネシア国籍であろうと日本国籍であろうと関係なしに、誰であっても贈賄行為の主体になります。

しかし、本件で問題となるのは、ゴルフ接待が「賄賂」と言えるのかという点と、「時効」にかかっていないかという点です。

第一に「賄賂」については、元防衛省事務次官に対するゴルフ接待が「賄賂」と認定された確定裁判例がありますが、尋常ならざる回数のゴルフ接待と、外国人が来日した際の1回ないし数回限りのゴルフ接待を同等に評価することはできません。 九電工事件では、同じようにゴルフ接待が行われましたが、賄賂として認定されたのはゴルフセット(クラブとシューズ)という物品の提供もあったからでした。したがって、今回のインドネシアの元運輸省局長に対する1回ないし数回のゴルフ接待それだけをとらえて、外国公務員贈賄罪における「賄賂」とみなすことは難しいように思えます。

もちろん、不正競争防止法18条の「金銭その他の利益」の解釈上、そのような限界があらかじめ要求されている訳ではないことに注意が必要です。しかし、1日ないし数日限りのゴルフ接待の費用がそれほど高額に及ぶとは考えられず、これだけを切り出して賄賂と見なすにはムリがあるように思えます。この点について朝日新聞は、「元局長へのキックバック」の有無を調べる為にインドネシアKPKが住友商事の現地社員を事情聴取しようとしたとも報じており、日本でのゴルフ接待以外に、キックバックという直接的な利益供与があったのではないかという疑惑についてそれとなく言及しています。つまり、茨城県でのゴルフ接待は証拠の固い、いわば「フラグ」であり、本丸は別にあるという構図が推察されます。

第二に、外国公務員贈賄の時効は5年です。ゴルフ接待が2006年8月10日に行われたのであるならば、この接待に対して外国公務員贈賄罪を適用することは出来ません。今日現在すでに5年が経過しており、公訴時効が成立しているからです(刑訴法250条2項5号)。このことからも、ゴルフ接待が今回の疑惑の核心ではないということが推定されます。

では、核心は何でしょうか。本丸はどこにあるのでしょうか。その全貌は現時点で定かではありませんが、引き続き、事件の進展を注視していきたいと思います。
いずれにしても、今回の住友商事・インドネシア事件は、「外国公務員贈賄罪の疑惑が報道された」という点では、三井物産・中国贈賄事件、三井物産・モンゴルODA事件、ブリヂストン・マリンホース事件、西松建設・バンコク事件、山田洋行事件に次ぐ、6番目のケースということになります。

現在、外国公務員贈賄防止条約の実施状況をチェックするOECDのワーキングチームによる3回目の審査と評価が世界中で行われているところです。我が国では、1回目の審査で「日本は外国公務員贈賄罪をぜんぜん摘発していないじゃないか!」と叱りつけられた直後に「九電工事件」が摘発され、2回目の審査で「まだまだ不十分だ!」と怒られた直後に「PCI事件」が摘発されました。『解説 外国公務員贈賄罪』(中央経済社)では「3回目の審査がなされると、摘発リスクが高まる」と書きました。実際のところ、この年末年始に何らかの動きがあるだろうと予測していました。まさにこのタイミングで、住友商事・インドネシア事件の疑惑が浮上してきた訳です。住友商事としては、外国公務員贈賄罪に特有のリスク対策を取ることが喫緊の課題になったと言えるでしょう。

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都心部を一周

週末は天気が良かったので、都心部をぐるっと船で回ってみました。東京の都心部は、水路で一周できます。

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まず、東京港から墨田川に入ります。

ちょうど同じ日に、湾岸エリア随一の高層マンションであると思われる某マンション最上階のお部屋をお邪魔したので、上空から河川エリアを撮ってみました。今回のルートは、写真左側の航路を抜ける形です。こうして見ると、スカイツリーはずば抜けて高い建物ですね。

次に、神田川に入ります。

秋葉原や御茶ノ水を川面から見上げながら、静かに航行していくルートです。バージ船とすれ違う時は、蛇行で流すくらい、船速を落とさなければなりません。

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写真は、御茶ノ水の「聖橋」の真下から、秋葉原方面を振り返った光景です。

のどかな休日という雰囲気です。

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水道橋で左折して、日本橋川に入ります。日本橋川は、首都高速の橋脚がたくさん立っているので、慎重な運転が必要です。

日本橋川にかかる橋は、重厚な石造りのものが多く見ごたえがあります。

また隅田川に戻って、浜離宮で停泊してランチです。

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上空から東京港を見下ろした写真では、ちょうど右端が浜離宮です。

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その後、お台場でプラプラと浮きながらお茶を飲んで、帰ってきました。

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こうして見ると、東京は「水の都市」なんだなと思います。川面から見上げる風景は、なぜかとっても懐かしい感じがします。

以上です。ご覧いただきまして、ありがとうございました。

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トランスペアレンシー・インターナショナルの「贈賄ランキング2011年版」

こんにちは。今日は、トランスペアレンシー・インターナショナルの「贈賄ランキング」のお話です。

トランスペアレンシー・インターナショナルは、世界の汚職を監視しているNGOですが、このたび2011年版の「贈賄インデックス」(The 2011 bribe payers index)を発表しました。http://bpi.transparency.org/

この「贈賄インデックス」は、主要28か国の企業が国際ビジネスを展開するにあたって「贈賄を行う可能性」(likelihood to bribe)をランク付けしたものです。
調査結果は以下の通りです(1位がもっとも「清潔」、28位がもっとも「腐敗」というイメージです)。

1位 オランダ
2位 スイス
3位 ベルギー
4位 ドイツ
4位 日本
6位 オーストラリア
6位 カナダ
8位 シンガポール
8位 英国
10位 アメリカ
11位 フランス
11位 スペイン
13位 韓国
14位 ブラジル
15位 香港
15位 イタリア
15位 マレーシア
15位 南アフリカ
19位 台湾
19位 インド
19位 トルコ
22位 サウジアラビア
23位 アルゼンチン
23位 アラブ首長国連邦
25位 インドネシア
26位 メキシコ
27位 中国
28位 ロシア

最下位はロシア、2番目が中国という結果になっています。日本は4位ということです。
調査方法は、世界の主要30か国のビジネスマン3,016人に対象に、各自がビジネスで関わっている外国の企業が贈賄に手を染める可能性(likelihood)がどれくらいあるかという見通し・認識(perceptions)を質問するというものです。
したがって、公訴件数や何らかの立件数といった客観的な数値を根拠にしている訳ではありません。

しかし、このランキングが国際ビジネスの現場でのイメージを忠実に反映しているとするならば、それはそれで意味のある指標になっていると言えるでしょう。外国公務員贈賄罪に関心のある方は、必読です。

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ミスト

週末の某港です。曇り空の下、静謐な雰囲気の海でした。霧がかかっていた訳ではありませんが(霧だと航海できません)、静かな海の上でなんとなく『ミスト』という映画を思い出していました。

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『ミスト』(The Mist)は、スティーヴン・キングの小説をフランク・ダラボンが2007年に映画化した、SF映画です。

舞台はある湖畔の街。その街が突如、深い霧に包まれ、得体のしれない怪物が霧の中から現れます。どうやら軍の特殊実験が失敗し、「異次元の世界」とこの世がつながってしまったため、異界の怪物が侵入してきたらしいことが分かります。

ショッピングセンターに立てこもる人々ですが、怪物は容赦なく攻撃してきます。想像を絶する異形の怪物に対して防戦するうちに、狂気に取りつかれた人々が、理性を保っている他の人々と対立します。そして、人間同士で殺しあうようになります。

主人公の画家は、息子を守るために、少人数の同志とともに車でショッピングセンターを脱出します。

しかし、街は変わり果てていました。

主人公の妻を含めて、生存者ゼロ。ガソリンが尽きたところで立ち往生した主人公は、遥か高く見上げるような巨大怪物がのし歩いているところを目撃します。

「これはお手上げだ」

絶望した主人公は、怪物の餌食になるくらいならと、息子らを次々と拳銃で撃ち抜いて命を絶ちます。 最後に自分も、と思いきや、まさかの弾切れ。自分の分の弾はありませんでした。

茫然とする主人公の前に、霧の中から何かが現れました。いよいよ最後かと思いきや、それは、救援に駆け付けた軍の特殊部隊でした。

こういうお話です。

同じフランク・ダラボンの『ショーシャンクの空に』(The Shawshank Redemption)が爽快なハッピーエンドで終わるのに対して、この『ミスト』のラストは絶望的です。

絶望のあまり、息子らの命を絶ってしまった主人公。着手があと少し遅かったら、軍の救援部隊に助けられていたでしょう。客観的には、主人公の絶望は虚妄と言うほかありません。

しかし、主人公の立場に身を置いて見れば、そのような見通しが一切ない状況で「最後の選択肢として集団自殺を選ぶ」という父親の判断がどれほどの虚妄と言えるでしょうか。「ボクを怪物の餌食にしないでね」という息子の切なる最後の願いを聞き入れた、父親としてのリアリティがあると言えなくはありません。

「絶望と虚妄」と言えば、魯迅の「絶望の虚妄なるは、希望の虚妄なるに等しい」という言葉が有名です。この言葉、東大社会科学研究所の佐藤由紀氏によれば、ハンガリーの詩人ペテーフィ(Sándor Petőfi)の「希望とはなに?娼婦さ。だれをも魅惑し、すべてを捧げさせ、おまえが多くの宝物-おまえの青春-を失ったとき、おまえを棄てるのだ」という詩を受けたものだそうです。http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/meigen/meigen_1.html

絶望が虚妄であることは、希望が虚妄であることと同じである。

希望という名の娼婦(又は男娼)に現(うつつ)を抜かしていてはいけない。

それと同様に、絶望を嘯(うそぶ)いていても仕方がない。

このような意味に解するならば、この言葉は、リアリズムに徹する視点から発せられたものとも言えます。

そうしたリアリズムの観点からこそ、絶望的に見える行動が取られる場合がある。このことを『ミスト』は示唆しているように思えます。

絶望的に見える行動が取られる場合、それが虚妄としての絶望から発せられる行為なのか、それともリアリティに依拠した行為であるのか。その峻別は難しいものでしょう。

『ミスト』では、ショッピングセンターに立てこもる大多数の人々にあらがって、たった一人で子供を探しに行った母親がいました。「自殺行為だ。止めろ」と多数は非難しました。母親としてのリアリティを理解した者は少数派だったのです。しかし、この母親は結局、親子ともども軍に救出されました。

それはたまたまでしょうか。それとも、希望を捨てなかったからでしょうか。

立ち尽くす主人公の眼を、その母親がじっと見ながら通り過ぎ、軍の救出部隊が秩序を回復していくシーンで、『ミスト』は終わります。

 

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Amazon書籍ベストセラーランキング「法律」部門で1位獲得

『解説 外国公務員贈賄罪』(中央経済社)が昨日、amazon書籍ベストセラーランキングの「法律」部門で1位を獲得しました。刑法・訴訟法部門や司法・裁判部門といった下位部門では今月の頭に1位を取っていましたが、法律書全体の中での1位は初めてです。
産經新聞の書評で取り上げて頂いたのがこの前の日曜日。その後、Web版にも掲載されたり、書店の書評コーナーで紹介されたりして、多くの方の目に触れているのかなとは思っていましたが、これほどとは。新聞の影響力の凄まじさを改めて感じました。

そういえば産經新聞はiPhoneやiPad等で閲覧できるアプリも出ているので、ネットで書評をお読みになった方がそのままアマゾンで注文するというケースもあったのではないかと推察します。

多くの方に関心を持って頂きまして感謝・感激です。皆様、ありがとうございました。

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MSN産経ニュースの書評

『解説 外国公務員贈賄罪』(中央経済社)の書評ですが、ウェブの「MSN産経ニュース」にも掲載されていました。

ありがとうございました。

【書評】『解説 外国公務員贈賄罪 立法の経緯から実務対応まで』北島純著
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110918/bks11091807360003-n1.htm

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