2019年の腐敗防止と情報戦略

2019年(平成31年)になりました。明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

昨年(2018年)発生した事件や動きのうち、コンプライアンスや腐敗防止の観点から重要なものを10件選ぶと、以下のようになるでしょう。

  1. ファーウェイ事件(2018/12)
  2. 日産ゴーン事件(2018/11)
  3. MHPSタイ事件(2018/7)
  4. パナソニックFCPA事件(2018/4)
  5. 文科省高官収賄事件(2018/7)
  6. ゴールドマンサックス1MDB 事件(2018/11)
  7. 岡田元UE会長、香港で逮捕(2018/8)
  8. 平昌オリンピックドーピング/サイバー攻撃(2018/2)
  9. ハラスメント(財務省セクハラ/スポーツ界パワハラ)
  10. 米国ロシア疑惑(続行中)
    (番外)
  11. 米朝シンガポール会談(2018/6)
  12. カショギ事件(2018/10)
  13. 日本 「入管法制」転換(2018/12)
  14. 日露「北方領土」交渉新局面(2島返還論)(2018/11)

このうち、筆頭のファーウェイ事件では、米国法令の域外「執行」が問題となりました。FCPAや反トラスト法の域外「適用」とは別の次元の話です。日産ゴーン前会長の事件は、現在もなお金商法(有価証券報告書虚偽記載)や会社法(特別背任罪)違反の疑いで公判・捜査が続行中ですが、経営者の報酬・利得をめぐる会計上の不正、コンプライアンスおよび企業ガバナンスの問題が大きく注目されました。会計コンプライアンスという点からは、パナソニックFCPA事件やMHPSタイ贈賄事件(公判中)も大きな事件でした。そして、なんといっても昨年は、国際政治が大きく動いた特筆すべき一年であったように思います(番外)。東アジア情勢、中東情勢が大きく変化した一年でした。

2019年は、昨年の大きな動きを踏まえて、変化に対する反動、修復、更なる変化があるはずです。そうした動向を分析するには、「情報」と「戦略」が大切です。「情報」を戦略的に活用すること、同時に、有意な情報に基づいて「戦略」を構築していくこと。ポピュリズムが席巻するグローバル社会の変化に対応するためには、こうした視点の重要性がいっそう増していくでしょう。

なお、特に腐敗防止という観点からは、「司法取引」という捜査手段を手にした東京地検特捜部の動きに引き続き注目が集まることは間違いないと思われます。

宜しくお願い申し上げます。

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ニューズウィーク2018年12月25日号「3つの潮流」

本日(2018/12/18)発売の「ニューズウィーク2018年12月25日号」に、ファーウェイ副会長兼CFOのカナダにおける逮捕について、事件の背景にある三つの潮流と、米国連邦法の域外執行の是非の観点から分析した拙稿を掲載して頂きました(36頁)。お読み頂ければ幸いです。

(なお、今回の寄稿は個人的見解を表明したものであり、筆者の属する組織の公的見解を代表するものではありません)

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週刊エコノミスト「三菱日立合弁、タイ贈賄で初の司法取引」

本日(2018/8/20)発売の週刊エコノミスト(毎日新聞出版)2018年8月28日号に、「三菱日立合弁、タイ贈賄で初の司法取引 「個人に責任転嫁」の裏事情」と題する拙稿を掲載して頂きました。

今回のMHPSタイ外国公務員贈賄罪事件は、我が国における「司法取引」制度適用の第一号になったことで世間の注目を集めた訳ですが、外国公務員贈賄防止の基本に立ち戻り、当時のタイ側政治事情を踏まえた「対応策」の可能性についても言及してみました。お読み頂ければ幸いです。
(なお、当該原稿は個人的見解を表明したものであり、筆者の属する組織の公的見解を代表するものではありません)
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インドネシアの贈収賄とマネーロンダリング

今月のBERC「外国公務員贈賄罪研究会」は、インドネシア特集です。

インドネシアといえば、日本でいう住基ネットに相当する「e-KTP」の導入にあたって発生した議会と省庁における大規模な巨額汚職事件が捜査されており、その反動として、KPKに対する政治的圧力がたいへんなことになっています。我が国の高速鉄道輸出案件失注も記憶に新しいところですが、生半可な対応ではおぼつかない国の最たるものと言える国です。

そこで、今回の外国公務員贈賄罪研究会は、インドネシアに進出している企業による事例発表を中心として、かの国の腐敗について検討を加えていきます。後半は、スペシャルゲストを招いて、マネーロンダリングの最前線を扱います。

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ジョセフ・ケナタッチ氏の書簡

国連(人権理事会)のプライバシー権に関する特別報告者(Special Rapporteur on the right of privacy)ジョセフ・ケナタッチ氏(Joseph A. Cannataci マルタ大学)の公開書簡が、国連人権高等弁務官事務所のサイトにPDFファイルとして公開されていましたので、一読してみました。

 

http://ohchr.org/Documents/Issues/Privacy/OL_JPN.pdf

以下は、その記述の一部です。

Further to this amendment, 277 new types of crime would be added through the “Appendix 4”. Concerns were raised that such an important part of the law is part of an attachment to the law since it makes it much harder for citizens and experts to understand the actual scope of the provision.

ケナタッチ氏によれば、「277個の新しい犯罪が別表4で加えられるが、懸念されるのは、そのような重要箇所が法律の付属部分(attachment)であり、市民と専門家が法文の実際の対象(範囲)を理解することがより困難になってしまうことだ」とのことです。

確かに、今回のテロ等準備罪法案は「別表方式」を採用しています。しかし、本文にずらずらと書くのではなく、表形式で対象犯罪を具体的に列挙しているので、むしろ、テロ等準備罪が適用される実際の範囲を理解することが容易になっているとも言えます。

もしこれが、「別表」ではなくて「本文」に列挙しろというのであれば、今回の法案が、「別表3」と「別表4」という二重構造をあえて採用している(別表3が組織的犯罪集団の目的規定、別表4がテロ等準備罪の成立する対象犯罪の列挙で、両者は微妙に異なる)ことの意味を理解していないのではないかという疑念が湧きます。仮に別表方式を採用しないで、本文ベタ打ちでそのような二重構造を表現するとしたら、そのほうがよほど分かりにくくなると思われます。

また、「277個の新しい犯罪が別表4で加えられる」というのも、誤解を招く表現です。TOC条約が要求している基準(長期四年以上の自由剥奪刑又はこれより重い刑を科すことができる犯罪)に照らすと600個以上あると考えられる対象犯罪候補を、組織的犯罪集団が関与するものに限定して、277個まで「絞り込んだ」というのが正確な理解ではないでしょうか。

 Reportedly, the government alleged that the targets of investigations to be pursued because of the new bill would be restricted to crimes in which an “organized crime group including the terrorism group” is realistically expected to be involved. Yet, the definition of what an “organized criminal group” is vague and not clearly limited to terrorist organizations.

ケナタッチ氏はまた、「政府は「テロリズム集団を含む組織的犯罪集団」が現実に関与すると予期される犯罪に捜査対象が限定される旨を主張している。しかし、「組織的犯罪集団」が何かという定義は曖昧であり、テロリズム集団に明確に限定されていない」と言っています。

指摘するまでもありませんが、テロリズム集団は組織的犯罪集団の「例示の一つ」であることは、ケナタッチ氏自身、「含む(including)」という表現を用いている通りです。文言からも立法趣旨からも、「テロリズム集団に明確に限定されていない」のは当たり前というしかありません。

 It was further stressed that authorities when questioned on the broad scope of application of the new norm indicated that the new bill requires not only “planning” to conduct the activities listed but also taking “preparatory actions” to trigger investigations. Nevertheless, there is no sufficient clarification on the specific definition of “plan” and “preparatory actions” are too vague to clarify the scope of the proscribed conducts.

ケナタッチ氏はさらに、「法案の適用範囲が広範であることについて疑問が呈されると、捜査を始める条件として、リスト記載の行為を実行する「計画」のみならず、「準備行為」が行われることを法案が要求している旨の政府の指摘が強調されている。しかし、「計画」の具体的な定義について十分な明確化はなく、また「準備行為」も禁止行為の範囲を明確化するにはあまりにも曖昧だ」とも言っています。

テロ等準備罪法案は、「二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為」と規定しており、「資金・物品の手配・関係場所の下見」という例を具体的に明文で規定しています。

「それでは不十分だよ」と言われれば、それをむげに否定はできませんが、果たして「準備行為」の内容を法文で今以上に詳しく説明することが必要かという疑問も生じます。

また、「計画」とは、テロ等準備罪の対象となる犯罪を計画するということですから、それぞれの対象犯罪によって内容が当然に異なる訳で、各対象犯罪の構成要件としてその内容が明記されており、かつ、その解釈についても学説や裁判例等の蓄積が多かれ少なかれ存在しているのであれば、テロ等準備罪法案自体に「計画」の行為態様等を詳細に書く必要はないように思えますが、いかがでしょうか。

ちなみに、マルタ共和国刑法48A条は、「共謀罪」について、

The conspiracy referred to in subarticle (1) shall subsist from the moment in which any mode of action whatsoever is planned or agreed upon between such persons.

と規定しています(CRIMINAL CODE, 48A.(2))。

出典:マルタ共和国司法・文化・地方政府省(Ministry for Justice, Culture and Local Government)公式サイトhttp://www.justiceservices.gov.mt/DownloadDocument.aspx?app=lom&itemid=8574&l=1

つまり、どのような態様の行為であれ、複数の者の間で計画または合意された時から共謀が成立すると規定しているだけで、「計画」または「合意」という文言について、具体的な定義は一切ありません。報道にかかわる犯罪(the Press Act)が対象外ということは条文(48A.(1))で明記されていますが、計画や合意についての明確な定義を見出すことは出来ません。

「先ず隗より始めよ」はマルタ語で、”Kulmin jissuġġerixxu għandha tibda.”と言うらしいです。

ケナタッチ氏は、これ以外にも、プライバシー侵害の懸念等をいろいろと書いていますが、それ自体は刑事実体法というより法執行の運用によるところ大なので、ここでは言及しません。いずれにしても、公平中立の立場からの専門家の文章として読むと、幾つか疑問が湧いてくる箇所がある内容と言えるかもしれません。

以上、ケナタッチ氏の書簡の一部に対する私的な感想でした。

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外国公務員贈賄罪とベトナム

今月のBERC「外国公務員贈賄罪研究会」は、ベトナムを特集します。

ベトナムといえば、2月28日から3月5日にかけて天皇皇后両陛下が初めて御訪問され、いわゆる「残留元日本兵」の家族と面会されたことが記憶に新しいところです。GW明けに副首相兼外相のミン氏が来日したばかりですが、今年1月には安倍総理が訪越し、6月にはフック首相が来日予定で、活発な外交が展開されています。米国抜きの「TPP11」交渉の上でも我が国にとって重要な存在だと言えます。

そのベトナムとのビジネスにあたって、重大な懸念事項の一つになっているのが、贈収賄を中心とする腐敗です。トランス・ペアレンシーのCPI(2016)スコアは「33」、全体で「113位」という順位です。

今回の外国公務員贈賄罪研究会では、ベトナムにおける「腐敗」がどうなっているのか、どう対処すればよいか、ベトナム改正刑法の施行はどうなるかといった点を、参加企業による事例発表を中心として、検討を加えていく予定です。

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外国公務員贈賄罪研究会、5年目スタート

BERCで開催している「外国公務員贈賄罪研究会」がこの4月で5年目に突入しました。BERC事務局のビルが移転したこともあり、5年目の今年は、内容を全面刷新し、気分一新でスタートを切りました。

第1回の研究会ではまず、改正独禁法のコミットメント制度(確約制度)の施行について、 TPP担保法として整備されたがゆえに避けられない「運命」について解説しました。ちょうど前日に表明された我が国政府の政策変更によって、実はその行く末はほぼ決まったとも言えるに近い訳ですが、その実務的な意味について解説してみました(グローバルリスク全般を扱った昨年とあまり変わっていないかもしれません・・・)。

本題である外国公務員贈賄罪については、新機軸の試みをやっていこうと思っています。興味のある企業・団体の方はBERCまでお問い合わせください。

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フィリピン残留日系2世「無国籍」問題

「現代ビジネス」に、フィリピンの残留日系2世に関するコラムを寄稿させて頂きました。
現代のフィリピンに、日本人の血を引いた2世(本来であれば日本国籍を持てる人々)が1200名近く、無国籍で放置されているという問題です。
日本でもこれまで、日本財団やNPOの方々が一生懸命に支援をなさってきたり、国会審議、議連でも真剣に議論がなされてきた問題です。外務省のフィリピン担当の方々も頑張っています。しかし、制度上の壁は厚いままです。
今回の天皇、皇后両陛下のフィリピンご訪問を契機に、この問題に広く関心が集まるといいなと考えて、彼ら彼女らの歴史を紹介してみました。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47673

現代ビジネスフィリピン

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FIFA事件

講談社のウェブサイト「現代ビジネス」の賢者の知恵コーナーにコラムを寄稿させて頂きました。
タイトルは、「仰天!FIFAが「犯罪組織認定」されるってホント!? ~米司法省が本気。W杯、日本への影響は?」というものです。FIFA事件について、RICO法や贈収賄摘発の最近の動向という観点から、現時点で考えてみたことを書き綴ったものです。お読みいただければ幸いです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45802

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LOSTの喪失感

「ロスト」(LOST)を遂に見終わりました。LOSTは、2004年9月から2010年5月までアメリカABCで放映されていた連続TVドラマで、シーズン1から6まで全部で121話もある長大なお話です(日本ではCSチャンネルAXNで2010年夏まで放送されていました)。

話の大筋は、太平洋の無人島に墜落した飛行機「オーシャニック815便」の生存者たちが生き残ろうと頑張っていると、実は島は「無人島」ではなく・・・といったものです。摩訶不思議な現象が相次ぐストーリー展開と多彩な登場人物の来歴フラッシュバックの織り込みが、とても面白いドラマでした。

(以下、ネタばれ)

最終話のラスト10秒で、墜落事故の犠牲者のスニーカーが樹にひっかかっているシーンと飛行機が墜落した浜辺のシーンが出てきます。
このラストシーンの受け止め方、「えっ、この話は全部、死後の世界の話だったのか」というものと、「いやいや、墜落当初は生きていたが、途中の事故(水爆の爆発など)で登場人物は死んだんだ」というものに分かれているようですが、私は前者でした。

死後の世界と言えば、煉獄(れんごく)です。
煉獄とは、ダンテ『神曲』の煉獄篇が有名ですが、天国に導かれる前に魂が浄化される世界のこと。カソリックの考え方ですが、日本ではなかなか馴染みがない概念ですね(ちょうど「悟性」という概念も同じように日本では一般化しないのと同じでしょうか)。このLOSTが煉獄を描いていたとすれば、現世とあの世の中間領域を描いた作品として一級品であると言えると思います。思わず愕然となるラストでした。

LOSTの登場人物は魅力的な人物揃いでしたが、なかでもソーヤ(ジョシュ・ホロウェイ)という元詐欺師が随所で繰り出す発言(時には「蠅の王」に言及も)がこのドラマの魅力を倍増させていたように思います。

長期間に渡るLOSTの視聴が終わり、一種の喪失感に包まれる秋でした。

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「ブラジル・ロシア・インドにおける外国公務員贈賄罪」(ビジネス法務2013年3月号)

『ビジネス法務』2013年3月号(中央経済社)に「ブラジル・ロシア・インドにおける外国公務員贈賄罪」という論文を掲載して頂きました。これは、中国を除くBRICs諸国の外国公務員贈賄罪(法案)について基礎知識を整理したものです(なお、本論文における意見にわたる部分は筆者の個人的な見解です)。

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ビジネス法務9月号「中国における外国公務員贈賄罪の新設」

7月21日発売の『ビジネス法務』2012年9月号(中央経済社)に「中国における外国公務員贈賄罪の新設」という論文を掲載して頂きました。
中国は昨年2011年、刑法を改正して「外国公務員贈賄罪」を新設しました。このことは米国FCPAに端を発する「外国公務員に対する贈賄を違法化する」という立法政策のトレンドが遂に中国へ到達したことを意味します。

そこで、その中国版外国公務員贈賄罪の内容と意義について、国際潮流の中に位置づけながら分析を加えたのがこの論文です(なお、本論文における意見にわたる部分は筆者の個人的な見解です)。ありがとうございました。

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映画 『エンジェル ウォーズ』。1949年のベビードール

続いて、『エンジェル ウォーズ』(Sucker Punch)です。

『300 <スリーハンドレッド>』のザック・スナイダー監督が放った、重層的な空想世界の中で女子5人が力を合わせて敵と闘うというファンタジーSF映画です。

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ロボトミー

主人公のベイビードール(エミリー・ブラウニング)は、遺産狙いの義父から虐待を受け、妹を殺されたばかりでなく、妹殺しの汚名を着せられて精神病院に強制収監されてしまいます。そこでは、おぞましいロボトミー手術が待っていました。

ロボトミー手術というのは前頭葉の一部を切除する手術。「凶暴」な精神病患者が「劇的に大人しくなる」という触れ込みで、20世紀の前半に流行した手法で、発明者のエガス・モニス(ポルトガルの医師・政治家)は1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています(ちなみに共同受賞者の名前は偶然にもルドルフ・ヘス)。
しかし、ロボトミー手術を施されると人格が破壊され廃人になってしまうことが多いことから、人間の尊厳を損なう手法として、否定的な評価が今日では圧倒的なようです。映画『カッコーの巣の上で』 (One Flew Over The Cuckoo’s Nest)のラストでジャック・ニコルソンが施された手術がこれですね。

空想の世界

精神病院において意思に反してロボトミー手術を施されようとする現実。それは、誰にとってであれ、耐え難いものがあります。

その受け入れがたい現実から逃避して、自由を求める主人公の精神は、病院を娼館に見立てる「空想世界」に入り込んでいきます。

この2次的な世界では、精神病院の「女性医師」は娼館の「女主人」に、陰険な「看護師」は横暴な「娼館オーナー」に、主人公自身は天才的なダンスの才能がある「新人娼婦」に置き換えられます。

ベイビードールは空想世界における娼館で、市長や金持ちを相手に、激しく官能的なダンスを踊って男を虜にします。このダンスが彼女の行為のメタファーであることは大人なら分かりますね。

メタファーというのは、隠喩(いんゆ)と言って、比喩であることを直接に明示しない表現のことです。現実をありのままに認識しているはずなのに、それが「何か別の意味を持っている」と指摘されると、その現実が違って見えてくることがあると思います。それと同様に、メタファーという表現は現実の別の姿を見せてくれる「衝撃力」をもつことがあります。脳みそを不意打ちするような衝撃です。この映画の原題が、Sucker Punch(「不意打ち」という意味)となっているのは、もしかしたら、それゆえかもしれません。

映画の中でメタファーが効果的に使われると、映画の中で構築された世界がぐんと深みを増して、多元的に理解されるようになります。この映画はその典型です。

妄想の世界

『エンジェル ウォーズ』では、ベイビードールがダンスを始めると、踊りながら彼女の意識は更なる妄想の世界にトリップしていきます。

これは何故でしょうか。

まず考えられるのは、精神のトリップはダンスの「高揚感の比喩」ではないかということです。ダンス自体がもたらす高揚感です。しかし、単にそう考えると、トリップした妄想世界での「闘い」の意味がよく分からなくなります。

なぜベイビードールは妄想世界で闘わなくてはならないのでしょうか。

ひょっとしたら、このベイビードールのダンスは、2次的な空想世界における「行為」のメタファーであると同時に、現実の世界(病院)における患者への「性的虐待」のメタファーかもしれません。もし、そうだとしたら、その現実は、とうてい受け入れがたい酷いものです。それゆえ、その過酷な現実に立ち向かうために、ダンスをしながら主人公の意識は更なる「妄想世界」にトリップするのではないかとも思えます。そう考える場合、ダンスが始まるや否や妄想の世界が自ずと立ち現れるのは、ベイビードールが現実に立ち向かう姿にかかわる重層的なメタファーを表現しているとも解釈できます。

いずれにせよ、『エンジェル ウォーズ』の核心的な表現は、この第3次レベルの「妄想世界」にあります。

この世界で、彼女は自由で超人的なパワーを得て敵と戦います。舞台となるのは、日本風の寺院や第一次世界大戦の戦場、中世の古城など。数々のサブカルチャー的な表現が引用され尽くしたこの妄想世界で、ベイビードールは4人の仲間と一緒に敵と闘っていきます。5人を導く不思議な男性(スコット・グレン)が登場しますが、これは今は亡き父親のメタファーでしょうか。第3次世界における圧倒的に濃厚なイマジネーションの描写こそが、この映画の見せ場に他なりません。

ベイビードールが仲間とともに戦う敵は、「妄想世界」における直接の敵だけではなく、娼館という「空想世界」における理不尽、さらに精神病院という「現実世界」における絶望的な不自由さを意味しているように思われます。そして、『エンジェル ウォーズ』を観る者は、この3っの世界がリンクして同時進行していくというストーリーの運びに、頭を揺さぶられます。といっても、精神分析もどきの深読みが要求される訳ではありません。娼館=病院から脱出するために必要な「アイテム」を1個1個ゲットしていくという、RPGゲームのような設定の下で奮闘するベイビードール達の姿は、爽快なものがあります。

マトリックスとインセプション

その点で、『マトリックス』の仮想現実や『インセプション』の深層世界(という既存の二大傑作の設定)とはまったく異なるコンセプトの映画であることがお分かり頂けると思います。

ウォシャウスキー姉弟の『マトリックス』であれば、プラグを頭の後ろの部分に刺すことによって、現実の暗黒世界から仮想の理想郷に移動出来るという設定がされています。

しかし、仮想世界に入っている間、現実の世界での人々は単に「寝ている」状態です。そもそも電話回線の接続によって仮想空間に入るというコンセプト自体、「そんなこと、ありえないだろ」という一言で終わりと言えば終わりです。

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これに対して、クリストファー・ノーランの『インセプション』は「夢」のお話です。

登場人物は、現実には眠りこけながら、「夢の中で更に夢を見る」という多重的な夢世界を行ったり来たりします。確かに、夢の中でそういう体験をすることもないとは言えないのですが、そうする必然性があるとか言われると厳しいものがあります。

たまたま「胡蝶の夢」を見て、ボーッとしながらも不思議な夢だったなと回想することはあるでしょう。しかし、何重もの深層世界に侵入していくというコンセプトは、面白いけど、無理やりな感じがどうしても残ります。映画のストーリーとしては、「重要人物の深層意識に影響を与えて、現実の選択を都合よく変える闇の請負ビジネスがある」という説明でクリアしていますが、この設定がそれほどリアルだとは言い難いところがあります。

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この点、『エンジェル ウォーズ』は、過酷すぎる状況に身を置いた主人公が、目の前に突き付けられた現実を彼女なりに咀嚼し耐える為に生み出した空想と妄想であるという、ある種の必然性が感じられます。荒唐無稽とも思える空想世界の描写を観ながらも、同時に、何かリアルな、重いものを突き付けられる感じがします。

「正気を保つために狂気を受け入れる」というべきか、「メタファーによって精神の自由を獲得する」というか表現が難しいところですが、ベイビードールの挑戦は、ラデュ・ミヘイレアニュの名作映画『オーケストラ!』(LE CONCERT)で、シベリアの強制収容所に送られたバイオリニストが空想でバイオリンを弾く、悲しくも気高い姿を想起させます。

『エンジェル ウォーズ』は、現実をありのまま受け入れるのではなく、メタファーという表現を介して受容するという経験を丁寧に描いている点で、強く印象に残る映画です。ダンスと音楽を効果的に用いることでメタファーとしての重層的な世界を構築し、同時に、観る者に劇中世界を多元的に理解させることに成功している、希有の作品と言えるのではないでしょうか(ちょっと褒め過ぎ?)。

フォークナー

この映画を観ながら、ふとウィリアム・フォークナーのスピーチを思い出しました。フォークナーがノーベル文学賞を受賞した時のスピーチです。

“I believe that man will not merely endure: he will prevail. He is immortal, not because he alone among creatures has an inexhaustible voice, but because he has a soul, a spirit capable of compassion and sacrifice and endurance.”

試しに訳してみると、

「私は、人が単に耐えるだけでなく、打ち勝つのだと信じています。人が不朽の存在であるのは、生き物の中で人だけが尽きることのない声を持っているからではなく、魂、つまり他者を思いやり、自己を犠牲にして、耐えることができる心を持っているからです」

というところでしょうか。

人間の精神を称揚するフォークナーが受賞したノーベル文学賞は、1949年のもの(実際の受賞は翌年です)。奇しくも、ロボトミー手術の発明者エガス・モニスが生理学・医学賞を受賞したのも同じ1949年でした。

ベイビードールがやろうとしたこと。それは、最後まで諦めず(endurance)、自己を犠牲にして(sacrifice)仲間を助けよう(compassion)としたことに尽きるのではないかと思います。もし、そうだとしたら、彼女の「ダンス」にこそ、フォークナーのいう「魂」が込められているという気がしてなりません。

 

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映画 『完全なる報復』とコラテラル

次は、ゲイリー・グレイ監督の『完全なる報復』(Law Abiding Citizen)です。

妻子を殺された男が10年がかりで2人の犯人に復讐を遂げるとともに、裁判関係者に報復していくという映画です。

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完全なる報復計画

被疑者2人は逮捕されましたが、ジェラルド・バトラー演ずる父親の懇願も空しく、やり手検事(ジェイミー・フォックス)は司法取引に踏み切り、主犯は子分に罪をなすりつけて死刑を免れます。市民の心情を無視する法制度に絶望したジェラルド・バトラーは、実行犯2人に復讐するだけでなく、茶番としか思えない裁判の関係者全員に報復を行うことを決意します。

準備期間はなんと10年。

主犯が懲役刑を終え出所したところから、財産と頭脳を駆使し綿密に計算された報復劇が始まります。用意周到な復讐は鬼の所業のようです。特に主犯のおっさんに対する復讐という名の虐殺行為の描写は凄まじいの一言(子供は絶対に見ない方がいいです)。

巻き添え(collateral)

妻子を殺されただけでなく、司法制度によって理不尽な扱いを受けたと考える復讐鬼ジェラルド・バトラーは、司法取引に踏み切った検事を含めて、「茶番」に関わった全ての関係者は死の裁きを受けるべきと信じています。これに対して、ジェイミー・フォックス(検事)は、関係者は誠実にその公的職務を果たしただけであり、私的な復讐の対象となるのは「巻き添え」を食らうことに他ならないと考えます。

そう、この映画は単なる報復劇ではなく、「巻き添え」(英語でcollateral)を巡る二人の男の対決を描く映画とも言えます。

巻き添えを食らうとは一般には、傍観者又は第三者であるにもかかわらず、何らかの負担を押し付けられたり、被害を被ったりするという意味です。つまり、当事者でもないのに(正確に言うと、当事者であるがゆえに甘受しなければならない責任がある訳ではないのに)何らかの「とばっちり」を食うというイメージです。

突然乱入してきた暴漢2人に妻子を殺されたジェラルド・バトラーにしてみたら、自分は巻き添えの被害者そのものです。なぜ見ず知らずの人間に家族を殺されなければならないのか。愛する家族を目の前で殺された人間がなりふり構わず「犯人をぶち殺したい」と思うのは、人のリアルな感情として理解でき、実際にそのような復讐劇を描いた映画はたくさんあります。

しかし、この『完全なる報復』は、そのような報復の感情が、当事者としての犯人だけではなく、背景にある法制度に向けられていく点に着目します。ジェラルド・バトラーは、当然に死の裁きを受けると思っていた主犯のおっさんが狡猾な検事の司法取引のせいでまんまと死刑を免れたことに憤死しそうになるくらい怒りを覚えます。そして、彼の憤激は、被害者の心情を踏みにじるかのような現行の司法制度に鋭く向かっていきます。

悪法も法か

「悪しき法制度も遵守すべきか」というこの映画の問いかけは、言うまでもなく「悪法も法か」という古典的な命題を背景としています。それゆえ、この映画の原題が「Law Abiding Citizen」、つまり「法を遵守する市民」というものになっている訳です。

ジェラルド・バトラーは、より良い方向に制度を改革する為に例えば「選挙に出て市長に当選して制度改革を行う」といったような迂遠な方法はとりません。被告人2人を自らの手で殺して復讐を果たすだけでなく、検事から裁判官に至るまで、茶番裁判の関係者を「皆殺し」にするという直接的な方法をとろうとします。

被害者や遺族による直接的な報復(私刑)を禁止し、応報刑の遂行を国や州が独占している近代社会では、いかに可哀想な巻き添え被害者であるジェラルド・バトラーといえども、自ら復讐に乗り出したらアウトです。現行制度の下では、ジェラルド・バトラーは、もはや私憤という域を超えて、共感しがたい猟奇的で独善的な復讐にかられているだけと言わざるを得ません。

それに対して、10年前に事件をたまたま担当した検事ジェイミー・フォックスが復讐の対象になるというのは、「巻き添え」を喰らっているだけのように思えます。

しかし、実はジェイミー・フォックスは事件当時、心から妻子の死を悲しみ犯人を憎んで「せめて1人は確実に死刑台に送りたい」という純粋な気持ちで司法取引に応じた訳ではありませんでした。有罪率という成績を気にする出世に貪欲なやり手検事にとって、司法取引は合理的な事件処理だという側面があったのです。遺族ジェラルド・バトラーにとって、検事ジェイミー・フォックスは不正義の当事者そのものであり、当事者であるがゆえに甘受しなければならない責任があると考えた訳です。

このような「巻き添えと責任」を巡る二人の男のぶつかり合いの描写が、『完全なる報復』を強く印象に残る映画にしています。

コラテラルとコラテラル・ダメージ

ジェイミー・フォックスと言えば、2004年のマイケル・マン監督作品『コラテラル』(Collateral)という映画で、殺し屋トム・クルーズの暗殺を手伝う羽目になった気弱なタクシードライバー役を好演し、オスカーを獲った『Ray/レイ』(Ray)での熱演と併せて、一気に演技派スターの地位を占めるに至った男優です。

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コラテラルという言葉は、「付随した」とか「横の」とかいう意味があります。語源としては、ラテラル(lateral)つまり「横の」という意味合いを持つ言葉です(TPPのような多国間交渉のことをマルチラテラル(multilateral)といい、2国間の交渉をバイラテラル(bilateral)といいますね)。

ちなみに、最近はラテラル・シンキングという用語を良く耳にしますが、これも同じく「横の」という意味合いです。ラテラル・シンキングとは、ロジカル・シンキング(論理的に物事を堀り下げて考えていく垂直的な思考のこと)の限界を、視点をヨコにずらして考えることで乗り越えようとする考え方のことです。例えば、「ミカン3個を5人で平等に分けるにはどうしたらいいか」という問題に対して、「ナイフで5等分に切って分配する」のではなく、「ミカン3個全部を絞ってジュースにして5杯に分ける」というのがラテラル・シンキングです。違った視点からの問題解決のヒントになるとして、ちょっと前に流行しました。

このラテラルを含むのが、コラテラル。本筋ではなく、ひょこっと横に出た、間接的なものをコラテラルという訳です。なお、collateralといえば「担保」という意味もあります。本来の責任を支える、付加的な責任のことですね。

映画『コラテラル』は、タクシー運転手が殺し屋の仕事に巻き込まれるという「巻き添え」を主題としつつ、現実をなかなか受け入れない、子供っぽいところが残る主人公が必死に頑張って女性検事を助ける過程で、少しずつ成長を遂げる姿も描いていきます。

そうそう、コラテラルといえば、アーノルド・シュワルツェネッガーの『コラテラル・ダメージ』(Collateral Damage)という映画もありました。これは、テロの巻き添えで妻子を爆殺された消防士シュワルツェネッガーの怒りの映画です。

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戦争や軍事作戦における「民間人の犠牲」をCollateral Damageといいます。軍事作戦において、民間の被害は「副次的な被害」つまり Collateral Damageと言われます。被害にあった人間が民間人というだけで、Collateralと言われてしまうのは納得がいかない気がしますが、必ずしもそうではありません。

確かに、軍事作戦においては軍の被害が「主」であり民間の被害は「従」であるという考え方があります。しかし、それは「軍事作戦の被害は軍内部に留めるべきであり、外部(民間人)の被害は出来る限りゼロにするべきだ」という思想が背景にあるということでもあります。プロフェッショナルとしての軍人等が用いる場合、Collateral Damageという言葉は重い意味を持っているのです。

いずれにしても、コラテラルという言葉は、当事者性と巻き添え性、被害と責任について、いろいろな問いを投げかける言葉であると言えます。『完全なる報復』と『コラテラル』、そして『コラテラル・ダメージ』。巻き添え3部作といったところでしょうか。

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映画 『SUPER8/スーパーエイト』

最近見た映画で、印象に強く残ったものを何点か挙げていきたいと思います。
(なお、BDやDVDで鑑賞した映画も含まれます)

最初は、『SUPER8/スーパーエイト』(Super 8)です。

J・J・エイブラムスがスピルバーグに捧げたノスタルジックなSF映画です。

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8㎜フィルム

スーパー8とは、昔懐かしい8㎜フィルムのこと。1979年、このスーパー8を使う機材で映画を自主製作していたオハイオの子供たちが主人公です。

子供たちが映画の撮影中に偶然、宇宙生命体を極秘裏に運搬しているアメリカ空軍の鉄道車両が脱輪・転覆する「事故」に遭遇します。そして、宇宙生命体を巡る秘密や、警察官(保安官補)や飲んだくれのパパ達と子供たちの葛藤する模様が描かれていきます。

中でも強く印象に残るのが、自主映画(劇中劇)のヒロイン役エル・ファニングの演技。エル・ファニングはあのダコダ・ファニングの妹ですが、将来お姉さんに匹敵する天才女優になるのでしょうか。物凄い演技です。

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映画のエンディングでは、子供たちが完成させたゾンビ映画(劇中劇)が流れます。それを観ながら、ふと「そこぬけもててもてて」を思い出しました。

「そこぬけもててもてて」というのは、私が通っていた中学の学園祭で上映する自主映画を作っていたグループの名前です。

彼らの作る自主映画は、本編もさることながら、エンディングに流れる「関係者の一芸披露」のショットがとても面白いものでした。横断歩道を蛇のように腹ばいになって手を使わずに渡るシーン(早送り)や、プールに隣の建物から飛び込むシーン(危険ですね)など、その一つ一つの記憶が図らずも蘇ってきました。

それは、「そこぬけもててもてて」の映画が8㎜フィルムを使っていたからでしょうか。

観る者を当該映画のストーリーだけでなく、映画というものそれ自体に対する思い入れに回帰させる事に成功している点で、この『SUPER8/スーパーエイト』は『ニュー・シネマ・パラダイス』と同じように、秀作だったなと思います。

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羽田空港の沖合

週末は、船にのって羽田の沖合に行ってきました。

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羽田空港と言えば、4本目の滑走路(D滑走路)が昨年10月に新設されたり、多摩川左岸に「羽田空港船着場」(Haneda Airport Wharf)が11月30日に完成したりと、馴染みのある風景が激変しているスポットです。

この羽田空港船着場、現在はチャーター屋形船が利用することがもっぱらのようですが、いずれ「船で羽田に行って、飛行機に乗る」という利用スタイルが実現することになるかもしれません。

D滑走路の整備について概観するのに一番いい資料は、コレです。
http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/haneda/haneda/haneda_saikaku/pr/panf/pdf/no-001a.pdf
船着場については、公式サイトをご覧ください。
http://www.big-wing.co.jp/pier/

京浜運河を下っていくと、すぐ横をモノレールが並走していたり、川沿いの公園でランニングしている人がいたりして、のんびりとした休日の雰囲気が楽しめます。羽田空港の付近では、ぴしゃぴしゃと海面を跳ねる魚が意外と大きいのでびっくりしました。

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こうして、羽田の沖合から東京の都心部を見ると、あたかも東京が「空と海の間の薄い膜」の上にのっている存在に過ぎないかのような錯覚にとらわれます。

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都心部を一周

週末は天気が良かったので、都心部をぐるっと船で回ってみました。東京の都心部は、水路で一周できます。

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まず、東京港から墨田川に入ります。

ちょうど同じ日に、湾岸エリア随一の高層マンションであると思われる某マンション最上階のお部屋をお邪魔したので、上空から河川エリアを撮ってみました。今回のルートは、写真左側の航路を抜ける形です。こうして見ると、スカイツリーはずば抜けて高い建物ですね。

次に、神田川に入ります。

秋葉原や御茶ノ水を川面から見上げながら、静かに航行していくルートです。バージ船とすれ違う時は、蛇行で流すくらい、船速を落とさなければなりません。

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写真は、御茶ノ水の「聖橋」の真下から、秋葉原方面を振り返った光景です。

のどかな休日という雰囲気です。

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水道橋で左折して、日本橋川に入ります。日本橋川は、首都高速の橋脚がたくさん立っているので、慎重な運転が必要です。

日本橋川にかかる橋は、重厚な石造りのものが多く見ごたえがあります。

また隅田川に戻って、浜離宮で停泊してランチです。

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上空から東京港を見下ろした写真では、ちょうど右端が浜離宮です。

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その後、お台場でプラプラと浮きながらお茶を飲んで、帰ってきました。

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こうして見ると、東京は「水の都市」なんだなと思います。川面から見上げる風景は、なぜかとっても懐かしい感じがします。

以上です。ご覧いただきまして、ありがとうございました。

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ミスト

週末の某港です。曇り空の下、静謐な雰囲気の海でした。霧がかかっていた訳ではありませんが(霧だと航海できません)、静かな海の上でなんとなく『ミスト』という映画を思い出していました。

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『ミスト』(The Mist)は、スティーヴン・キングの小説をフランク・ダラボンが2007年に映画化した、SF映画です。

舞台はある湖畔の街。その街が突如、深い霧に包まれ、得体のしれない怪物が霧の中から現れます。どうやら軍の特殊実験が失敗し、「異次元の世界」とこの世がつながってしまったため、異界の怪物が侵入してきたらしいことが分かります。

ショッピングセンターに立てこもる人々ですが、怪物は容赦なく攻撃してきます。想像を絶する異形の怪物に対して防戦するうちに、狂気に取りつかれた人々が、理性を保っている他の人々と対立します。そして、人間同士で殺しあうようになります。

主人公の画家は、息子を守るために、少人数の同志とともに車でショッピングセンターを脱出します。

しかし、街は変わり果てていました。

主人公の妻を含めて、生存者ゼロ。ガソリンが尽きたところで立ち往生した主人公は、遥か高く見上げるような巨大怪物がのし歩いているところを目撃します。

「これはお手上げだ」

絶望した主人公は、怪物の餌食になるくらいならと、息子らを次々と拳銃で撃ち抜いて命を絶ちます。 最後に自分も、と思いきや、まさかの弾切れ。自分の分の弾はありませんでした。

茫然とする主人公の前に、霧の中から何かが現れました。いよいよ最後かと思いきや、それは、救援に駆け付けた軍の特殊部隊でした。

こういうお話です。

同じフランク・ダラボンの『ショーシャンクの空に』(The Shawshank Redemption)が爽快なハッピーエンドで終わるのに対して、この『ミスト』のラストは絶望的です。

絶望のあまり、息子らの命を絶ってしまった主人公。着手があと少し遅かったら、軍の救援部隊に助けられていたでしょう。客観的には、主人公の絶望は虚妄と言うほかありません。

しかし、主人公の立場に身を置いて見れば、そのような見通しが一切ない状況で「最後の選択肢として集団自殺を選ぶ」という父親の判断がどれほどの虚妄と言えるでしょうか。「ボクを怪物の餌食にしないでね」という息子の切なる最後の願いを聞き入れた、父親としてのリアリティがあると言えなくはありません。

「絶望と虚妄」と言えば、魯迅の「絶望の虚妄なるは、希望の虚妄なるに等しい」という言葉が有名です。この言葉、東大社会科学研究所の佐藤由紀氏によれば、ハンガリーの詩人ペテーフィ(Sándor Petőfi)の「希望とはなに?娼婦さ。だれをも魅惑し、すべてを捧げさせ、おまえが多くの宝物-おまえの青春-を失ったとき、おまえを棄てるのだ」という詩を受けたものだそうです。http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/meigen/meigen_1.html

絶望が虚妄であることは、希望が虚妄であることと同じである。

希望という名の娼婦(又は男娼)に現(うつつ)を抜かしていてはいけない。

それと同様に、絶望を嘯(うそぶ)いていても仕方がない。

このような意味に解するならば、この言葉は、リアリズムに徹する視点から発せられたものとも言えます。

そうしたリアリズムの観点からこそ、絶望的に見える行動が取られる場合がある。このことを『ミスト』は示唆しているように思えます。

絶望的に見える行動が取られる場合、それが虚妄としての絶望から発せられる行為なのか、それともリアリティに依拠した行為であるのか。その峻別は難しいものでしょう。

『ミスト』では、ショッピングセンターに立てこもる大多数の人々にあらがって、たった一人で子供を探しに行った母親がいました。「自殺行為だ。止めろ」と多数は非難しました。母親としてのリアリティを理解した者は少数派だったのです。しかし、この母親は結局、親子ともども軍に救出されました。

それはたまたまでしょうか。それとも、希望を捨てなかったからでしょうか。

立ち尽くす主人公の眼を、その母親がじっと見ながら通り過ぎ、軍の救出部隊が秩序を回復していくシーンで、『ミスト』は終わります。

 

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Amazon書籍ベストセラーランキング「法律」部門で1位獲得

『解説 外国公務員贈賄罪』(中央経済社)が昨日、amazon書籍ベストセラーランキングの「法律」部門で1位を獲得しました。刑法・訴訟法部門や司法・裁判部門といった下位部門では今月の頭に1位を取っていましたが、法律書全体の中での1位は初めてです。
産經新聞の書評で取り上げて頂いたのがこの前の日曜日。その後、Web版にも掲載されたり、書店の書評コーナーで紹介されたりして、多くの方の目に触れているのかなとは思っていましたが、これほどとは。新聞の影響力の凄まじさを改めて感じました。

そういえば産經新聞はiPhoneやiPad等で閲覧できるアプリも出ているので、ネットで書評をお読みになった方がそのままアマゾンで注文するというケースもあったのではないかと推察します。

多くの方に関心を持って頂きまして感謝・感激です。皆様、ありがとうございました。

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MSN産経ニュースの書評

『解説 外国公務員贈賄罪』(中央経済社)の書評ですが、ウェブの「MSN産経ニュース」にも掲載されていました。

ありがとうございました。

【書評】『解説 外国公務員贈賄罪 立法の経緯から実務対応まで』北島純著
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110918/bks11091807360003-n1.htm

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