今月のBERC「外国公務員贈賄罪研究会」は、タイ特集です。
タイといえば、「腐敗防止法」が2年前に改正され、
❶贈賄罪・外国公務員贈賄罪(5年以下の懲役・10万バーツ以下の罰金)
❷収賄罪・外国公務員収賄罪(死刑・終身刑・5年以上20年以下の懲役・10万バーツ以上40万バーツ以下の罰金)
❸法人責任(両罰型、適切な内部措置を講じていないことが要件)=賄賂額の2倍以下の罰金
が追加されました(Organic Act on Counter Corrpution, No.3 B.E. 2558(2015))。2011/3/31にタイがUNCAC(国連腐敗防止条約)に加盟してから4年、ようやくタイにも外国公務員贈賄罪が導入された訳です。
この改正によって腐敗防止法は、「国家汚職防止委員会」(National Counter Corruption Commission :N.C.C. Commison または National Anti-Corruption Commision:NACC)の設置法と一部の汚職関係犯罪にとどまらず、実質的な贈収賄罪の実定法として機能するようになりました。
タイ政府は、国家戦略として「第三次腐敗防止国家戦略」(Natioanl Anti-Corrupution Strategy –Phase 3 (2017-2021))を策定しており、実際に35個の政府プロジェクトでIntegrity pactが締結されたほか、2015/7/21には「免許付与手続法」(Licensing Facilitaiton ACT)が制定されるなど、ビジネス環境の整備が着々と進んでいます(ちなみに、第三次腐敗防止国家戦略における戦略的目標は、「CPIの上位50%に入る」ことだと規定されています。なんとも分かりやすい目標ですね)。
今回の外国公務員贈賄罪研究会では、タイに進出している日本企業2社による事例発表とともに、タイの腐敗防止制度について解説していきたいと思いますが、タイ・ビジネスで重要なのは、もちろんそういったことだけではありません。
日本企業とタイの腐敗については、なんといっても2009年の「西松建設事件」が記憶に新しいところです。
2003/7、西松建設が現地の「イタリアン・タイ・ディベロップメント社」(ITD)とJVを組んで、バンコク都庁の「洪水対策トンネル工事」を落札(66億円)した際に、4.8億円相当の賄賂が供与されたのではないかという疑惑です。報道によると、うち3.5億円が政府高官、1.3億円が汚職監視機関に渡され、西松建設は2.4億円を負担したとも伝えられています。
2008/6/4に東京地検特捜部が外為法違反の容疑(裏金7000万円の持ち込み)で西松建設本社を家宅捜索し、翌2009/1/14には、社長(元管理本部長:経理統括)・腹心の副社長らが外為法違反で逮捕されました(なお法人も略式起訴されており、罰金100万円が確定しています)。
重要なのは、バンコク都庁の公務員(政治家)すなわち外国公務員への贈賄として、外国公務員贈賄罪事件の捜査も進んでいたという点です。
タイ側も2009/4/21には、前述した 「国家汚職防止委員会」(NACC)に特別捜査委員会を設置し、日タイ両国で同時進行的に捜査が進みましたが、結局、「外国公務員贈賄罪」での立件はなされませんでした(なお、日本の国税庁は6億円を追徴課税しています)。
2009/5/15に公表された、西松建設の内部調査報告書によると、
①海外ペーパーカンパニーで裏金9億円(うち4.7億円が使途不明)を捻出した。
②そのうち、日本に3.3億円持ち込み、うち1.4億円を海外事業副部長が着服した。
③タイでは、JV現地企業に2.2億円を仲介手数料として渡した。
とのことでしたが、2.2億円の「仲介手数料」の賄賂性についての判断はなされないままで終わってしまった訳です。
それはなぜだったのか。
色々な見方ができると思いますが、一つには、この事件は、タイでの贈賄疑惑と別に、日本国内での政治献金事件の流れに棹さしていたという事情があります。政治家の資金管理団体への企業献金は1995年の法改正で禁止されましたが、その後に西松建設が生み出した「個人献金を偽装した政治家の資金管理団体への企業献金スキーム」が当時、捜査の焦点になっていました。西松建設が新設した「特別賞与加算金」(11億円相当)を原資とする5.9億円が二つの政治団体に流れ、そのうち4.8億円が政治献金やパー券購入の名目で政界に流れたのではないかということで、日本中が大騒ぎになった事件です。ここでは詳細に立ち入りませんが、その一連の過程で、傍流たる「外国公務員贈賄罪としての立件」が見送られたという事情は指摘できると考えられます。
もう一つは、タイの国内事情です。2003年当時のバンコク都知事だったのはサマック氏(Samak Sundaravej)。後に首相に昇りつめるサマック氏が事件捜査当時どのようなポジションにいたかを、タイ政治史の中で位置付けることが、背景事情の理解には必要です。1997年の憲法改正で小選挙区制が導入されたことを契機に、今に至るまで20年に渡って継続しているタイ政治における「タクシン派と対抗勢力の争い」が始まったと言える訳ですが、その流れの中でサマック氏が果たしてきた役割の分析が重要だと考えられます(これ以上は研究会で検討したいと思います)。なお、反タクシン派がタクシン派打倒の手段として度々利用したのは、皮肉にも同じ1997年の憲法改正が導入した憲法裁判所と汚職防止委員会でした(両者の争いに起因する混乱が制御しきれなくなると軍部がクーデタを起こしタクシン派政権を潰すというループが続いていますが、潰すたびに、タクシン派が強固になっているような気がします。2017/9/23にはタクシン氏の妹であるインラック前首相が、コメ担保融資制度の導入で国庫に莫大な損失を与えたということで汚職防止委員会によって追及され、遂に国外逃亡しました。しかし、今なお両勢力の争いに最終的な決着がついた訳ではありません)。いずれにせよ、タクシン派を巡る激しい抗争の中で、「バンコク都庁公務員」への贈賄疑惑がかき消されてしまったのではないかと思われます。
それにしても、日本とタイ双方で同じように既存勢力(establishment)に闘いを挑んだ二つの政治ベクトルが、西松建設を交点として偶然にもクロスした時に、日本とタイを舞台とする外国公務員贈賄罪疑惑がふと浮かび上がった—。これが、西松建設タイ事件だったのかもしれません。そうだとしたら、その儚い事件が、圧倒的な政治的熱量を有した政治的闘争の中で立件されることなく消えていったのは、ある意味では仕方がなかったと言えるでしょう。